12 月 09

舞台芸術家の内田喜三男さんが7日肺炎の為、逝去されました。(享年80才)
このブログをご覧の方で、この方をご存知の方はごく少数かも知れませんが。

 

 

劇団民藝で舞台装置、美術、舞台監督として活躍された方で
新・裸の大将放浪記」でお世話になった舞台監督でした。

さっきその舞台で一緒だった方から連絡がありました。


井上が巡業中、初めて舞台の裏仕事をやることになった時、

どの場所に何寸の釘を、どの順番で何本打てばいいかさっぱり解らずで。

 怒声、罵声が飛び交う殺伐とした中で、周りの人に聞く事さえも躊躇し、立ち尽くしていた井上に「周りのスピードは気にしなくていい。間違ってもいいからどんどん打ちなさい。それを抜いてたら今度抜くのも上手になるぞ」と、ただ一人笑顔で話しかけてくれた方でした。 

 僕が「これは3、4人で運ぶのかな。」と思ってた大きなパネルを「お~い青年。早く成長してくれよ~。」とあっさり担いで、これまた笑いながら颯爽と運んでいった七十代半ばの先生の後ろ姿がありました。
 仕事後も「お~い若人、今日はどこにメシ行くんだ?」と気さくに声を掛けて下さり
「おお、あそこか。初めて来た場所なのに、よく調べたじゃないか。」
「じゃぁ今日は合流するから、たまには年寄りの面倒見てくれよ。これも君たち若手の重要な仕事のひとつだ。」と。
 劇団民藝さんは、一度巡業に出れば少なくとも20、多ければ100ステージ程のロングラン公演をこなす新劇の中でもかなり大きな劇団です。その舞台監督という肩書きのある方が、30人いる巡業メンバーで一番駆け出しの、勉強で参加させて貰っているような立場の僕にいつも気をかけて下さってました。肩書きやキャリアの差を気にしない、相手に微塵も感じさせない(させようとしない)ような、そんな人間味溢れる優しい心と、間違いない知識と技術、統率力で公私問わず常に周りに沢山の人が集まってました。
 美しい心で作る舞台も本当に美しいシーンばかりで毎日舞台の袖から見とれてました。
誰からも愛し慕われ続けてきたのだと思います。

わずか5年間、そして巡業の間でしか顔を合わせる事がなかった僕でさえこんなに別れが辛いのですから。

「劇場内で起きたアクシデントやミスは全て私の責任です。申し訳ございませんでした。」ミスを犯した他人の代わりに皆に深々と頭を下げてまわる姿が頭から離れません。

 

トンカチの叩き方から舞台人としての姿勢、人として大事なこと。説教されるでもなく飲んで語られたわけでもなく、あの人の背中を見て教わった事がたくさんあるような気がします。

お世話になりっぱなし、救われっぱなしで恩返しも出来ないままでした。

巡業のない間にいつも「元気でやってるかね」と頂いた手紙、ずっと大事にします。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

written by tsuyoshi-inoue